冒頭に今の時事ネタを書き込むようにしています。以前にも書きましたが備忘録のように振り返ればと思います。
東京では毎日コロナウィルスの感染者数が発表されています。私は大阪ですが近畿圏では罹患率が高い都道府県だと思います。
診察を受けていない(認定されていない)だけで罹患者は相当数存在していると考えられます。それでも必要な外出や買い物に出かけると皆以前と変わらない様子で過ごしています。
私が比較的田舎に居ることもありますが、周りはまだまだ他人事です。
しかし、私の親戚の勤めている会社と付き合いしている社長がコロナ認定を受けた(いよいよ身近に迫ってきた感)方が出てきたり、近隣の市や地区で認定者が出てきました。
私自身、キャリアーの可能性があります。
皆がその意識を持つことが大切だと思います。皆が当事者になり得ますし、皆もちろん可能性があります。罹患している可能性は高いです。(ただ無症状なだけ)
1日も早いアフターコロナの到来を心待ちにしています。実際花見をしている人はほぼいません。
オメガ スピードマスター プロフェッショナル
個人的に相当有名な時計だと思います。ただ何故多くのファンやカルト的な信者が存在しているかを知る人は少ないような気がします。
私が幼少の時は、冷戦がほぼ終わり。バブルも言葉は知っていましたがそれが何かは知らず。ベルリンの壁の崩壊もテレビで見ていましたが何が凄いのか分からず。湾岸戦争は遠方の花火ぐらいの認識。
ですから〝有人月面着陸〟なんてのは知り得もしませんでした。
今の若い方が『オウム事件』『9,11同時多発テロ』を知らないようなものです。
ですから私もスピードマスター の歴史的所業などは知りませんでした。うん、でもいいじゃ無いですか?自分がかっこいいと思った物を身につけたり購入したら⭐️
ウンチク垂れて初心者に優しく無い自称識者は無視したらと思います。
ただ歴史のあるものや人気のあるものには熱狂的なオタクや変なこだわりを持った頭の硬いのがよく居ます。でもそんなの無視したらいいのです。
月面着陸について
検索をかけるとスピードマスター に関する多くの歴史や所業が出てきます。箇条書きでまとめると
○NASA公認の公式時計に選ばれる。
○宇宙飛行士のミッションに同行し、その結果月に行った数少ない時計。
○その偉業が大きすぎてほぼ形を変えないで現在もリリースされている。
○その結果、相当数のファンやカルト的な人気がある。
となります。つまり、月に行ったことが大きなファクターになっています。
それぞれ補足していきます。
○NASA公認の公式時計に選ばれる。
当時NASAは、宇宙で行う様々なミッションに同行する時計を模索していました。メーカーに候補の時計を納入させずに市販品を職員が購入しそれに対して多くの過酷なテストを行いました。
とここで間違いがありました。この記事を書いてる最中まで職員が市販品を購入したと記憶していましたが実際には異なりました。それは時計情報を掲載しているサイトや雑誌にある都市伝説です。
定説では、1961年にヒューストンに本部を移したNASAの職員が、同地の宝飾店「コリガンズ」でスピードマスター をテスト用に購入したこと。になっていますが当時の装備品担当管のジム・レーガン氏によると、そもそもNASA全ての活動には法的手続きが必要。その為テスト用とは言え通常の時計店で市販品を購入することはありえない。とレーガン氏は断言しています。
実際には1964年、NASAの呼びかけに応じる形でオメガ、ロレックス、ロンジン、ハミルトンから候補となる時計が提供されました。
その時の仕様条件は、宇宙での過酷な環境に耐えうる時計であること。
船外活動での計測の為にクロノグラフであること。
宇宙は無重力状態の為に自動巻ではなく手巻式であること。
打診に応じた4社共、予算、準備できる本数など問題はありませんでした。
その後、高音環境テスト、低温環境テスト、過度の気圧テスト、加速度テスト、耐衝撃テストを無事にパスした時計がオメガのスピードマスター でした。
今思えば、各メーカー共に〝しっかり作り込んだ一点物のスペシャル機〟を送り込めば選考を勝ち抜き『ムーンウォッチ』の称号を勝ち取れたかもしれません。今でも続く唯一のブランドと称号。当時は考えもしなかったことだと思います。
元々スピードマスター はシーマスター を基に開発されました。まさにシーマスター の派生でした。ケースサイズよりも遥かに小さいムーブメントを積んでおり、中身に比べて分厚いケースはあらゆるマイナス要因を跳ね返しました。このことが大きな勝因になったかもしれません。クロノグラフはレースなどの計測目的で仕様されることが多く陸か空を想定した物が大半です。唯一オメガのスピードマスター だけが水圧なども考慮された密閉性や堅牢性があったに違いありません。
余談ですが、ロレックス・デイトナは正式には『オイスターパーペチュアル・コスモグラフ・デイトナ』と名付けられています。このコスモ(宇宙)に関して言えばやはりNASAの公式時計を意識しかなり売り込んだ名残と噂されています。
参照;トケイ通信by KOMEHYO さん。いつもお世話になっています。
結局、ロレックスはオメガに敗れNASAの公式時計の座に付くことは出来ませんでした。その後NASAは当時のアメリカにおけるオメガの代理店「ノーマン・M・モーリス」社を通して正式に契約を結ぶ形となります。
○宇宙飛行士のミッションに同行し、その結果月に行った数少ない時計。
1965年、スピードマスターはジェミニ計画の装備品として初めて宇宙に飛び出すことになります。
*ジェミニ計画
その後のアポロ計画でスピードマスターは全てのミッションに同行します。
アポロ計画
アポロ1号は火災事故で中止となりこの時の乗組員である飛行士3名は全員殉職しています。
2号、3号は正式には存在しません。
4号から6号は無人のテスト飛行でした。
有人飛行が行われたのは続く7号から17号の計11回行われています。
アポロ7号
1968年10月11日。アポロ計画で初の有人飛行が成功。地球軌道を周回。
アポロ8号
1968年12月21日。人類初の月軌道周回に成功する。
アポロ9号
1969年3月3日。月面着陸のリハーサルとして月着陸船の飛行試験を地球軌道で行う。
アポロ10号
1969年5月18日。月着陸船の飛行試験を月周回軌道上で実施。無事成功。
アポロ11号
1969年7月16日。69年7月20日、人類初の月面着陸成功。
アポロ12号
1969年11月14日。月面着陸成功。
アポロ13号
1970年4月11日。機械船の第2酸素タンクで爆発が発生。危機を乗り越え無事帰還。
アポロ14号
1971年1月31日。13号の事故以来、10カ月ぶりの飛行。
アポロ15号
1971年7月26日。月面活動において初めてLRV(月面車)を使用。広範囲の活動が可能になった。
アポロ16号
1972年4月16日。月面の地形・地質の調査の他に、クレーター内部の調査など高度な任務が行われる。
アポロ17号
1972年12月7日。月面にて初の地質学者による調査が行われる。アポロ計画で最後の飛行になる。
こうみるとかなりのハイペースでミッションを行なったとわかります。理由はソ連との競争です。
ガガーリンの人類初の宇宙飛行成功。レオーノフの人類初の宇宙遊泳成功と宇宙開発競争でことごとくソ連に先を越されたアメリカは国の威信をかけアポロ計画に臨んだ様子がわかります。
『地球は青かった』の名言はNASAのものではなかったんですね。
このミッション全てにスピードマスター は同行しています。
特に13号の事故は今でも語り継がれるエピソードです。
14秒間に込められた意味
第2酸素タンクが爆発し地球帰還の軌道を外れてしまったアポロ13号は危機的状況に立たされました。自力で帰還するには燃料も酸素も乏しい状況です。車のエンジンのようにエンジンに頼って飛行しているのでは無く月と地球の引力を利用して進むアポロ13号は無闇にエンジンを動かすわけにはいきませんでした。
軌道修正して地球に帰るルートに戻るのは一度きり。電力の低下が著しい為に2度目はありません。
それも手動での操作でエンジンを動かす必要がありました。その間14秒。
もし時計が狂っていたら地球帰還軌道を外れてしまいます。
結果、正確な時計とスタッフのフォローを受け、無事に地球に帰還します。
アポロ13号記念モデルにはこの14秒間を意識できる仕様になっています。
NASAの公式装備としてスピードマスター は有名で月に行った数少ない時計の1つは間違い無いのですが、他にも地球を飛び出し月に同行した時計があります。
ブローバ・ムーンウォッチ
全ての船外活動時にはスピードマスター の使用が義務付けられています。
1971年の「アポロ15号」が4度目の月面着陸に成功した際も同様でした
が、船長であるデイヴィッド・スコットの「オメガ スピードマスター プロフェッショナル」にトラブルが発生、急遽、代用品として個人所有のブローバウォッチを着用して月面探索の任務を達成させました。ブローバから提供されたモノでした。
新たな「ムーンウォッチ」の誕生です。待機条件や温度の変化、重力シフトの圧力など過酷な環境下でも完璧に作動したと言われています。
その後、船長から寄贈された時計は2015年に競売にかけられ、約1億9700万円で落札され当時かなり話題になりました。
2016年には復刻モデルが発売され話題に拍車をかけました。
前編はここまで。
○その偉業が大きすぎてほぼ形を変えないで現在もリリースされている。
○その結果、相当数のファンやカルト的な人気がある。
記事が長くなりますので、後編に続きます。